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長崎地方裁判所佐世保支部 事件番号不詳〔2〕 判決

主文

被告人今村一を懲役五年に処する。

未決勾留日数中百二十日を右本刑に算入する。

押収してある拳銃一挺(証第十四号)実弾六発(証第十五号)は孰れも之を没収する。(外二名に関する部分は省略)

理由

(一)被告人の経歴及び身分関係

被告人今村一は佐世保市戸尾町十番地土木建築請負業池田組事池田実の配下で土工、雑役人夫等の仕事に従事し、雇主に対して所謂親分子分として恩義を感じている者である。

(二)動機、原因

昭和二十三年一月十九、二十日の両日に亘り、佐世保市戸尾町在住土木建築請負業石井組事石井敏夫の主催で同市内京坪町大劇において、長谷川一夫一座の演劇を興行した際、右石井の兄弟分である同市若葉町在住土木建築請負業森岡組事森岡浅治と、同様石井の兄弟分で当時若松市から来ていた岩野暢とが、右岩野の入場券不正販売の事から喧嘩口論の末暴行沙汰に及び、之を深く遺恨に思つた右岩野が直ちに配下の者を若松市から呼び寄せた為森岡も之に対抗し復讐に備える等不穏の形勢に立ち至つたので、同月二十一日森岡の兄弟分である前記池田実や原田末利等の仲裁で一旦仲直りしたものの、岩野は尚釈然とせず佐世保一派の者に疑惑を抱かせる様な言動に出で、又右直仲りの席上における岩野の態度から同人が拳銃を所持しているものと誤信した池田が、右の旨を警察に申告した事から前同日岩野一派の者八名が警察署に検挙された為、ここに右森岡や池田は岩野一派から深く恨みを買い、同月二十二日嫌疑が晴れて釈放された岩野等から復讐を受ける事を予期した森岡等はその輩下の者等をして極力警戒させていた処、岩野派に於ては若松市から子分三十六名を呼び寄せて市内日宇町等に待機させ、喧嘩費用十万円を調達して森岡、池田の両名は勿論、その兄弟分の関係にある原田末利、石井義夫等にも復讐するとの企があるやの風説を聞知し、池田は原田等と共に一時崎戸の方に難を避けたが、森岡は市内城水組に応援を頼み又二十三日夕刻には大牟田市花園町寺内忠等にも至急電報を打つてその来援を求め復讐に備えていた折しも、同夜右森岡の配下福毛義之が佐世保市潮見町道路上で前記岩野を手工用小刀で突き刺し、その左胸部に重傷を与えた為、右岩野は市内島瀬町黒川外科医院に入院するに至り、双方の感情は益々尖鋭化して来たので、森岡、石井の両名は頻りに相往来して協議を重ね石井は崎戸に行つた池田、原田等にも電話で連絡してその指示を受け、茲に森岡、石井、池田、原田の四名は意思相通じ、岩野一派との喧嘩を決意して積極的な態度に出で、森岡は再度前記城水組に応援を依頼し、又その知合の通院者を介して前記黒川医院内に於ける岩野一派の動静を探らせる等着々準備を整えた。

(三)犯罪事実

第一、被告人豊永昭二及び同川崎光雄は同月二十四日夕刻、前記森岡から寺内忠雄に対する求援の電報に応じて右寺内及びその配下の者等十数名と共に佐世保市に来り、森岡方、池田方等に於て接待を受け、翌二十五日被告人三名孰れも石井方及び池田方に於てその配下の者等と飲酒会談し、その間前記岩野暢、姫田事古賀登外その配下の者に対する先制襲撃の企てを感知し乍ら、同日夕刻右池田方に集合すべき旨の伝言に応じ、同日午後六時頃池田方に集合の上、前記森岡、池田、原田、石井等首魁が岩野派の襲撃を邀えるよりは寧ろその配下の者を連合して相手方の機先を制し黒川病院を不意に襲撃して頭領株の岩野及び古賀を殺害し、その他一味の者を傷害すべきことを協議決定し、同座せる被告人今村一、同豊永昭二、同川崎光雄等その他各配下の者二十数名に対し右企図を告げるや、各自之を諒承し、相互に意思を通じて全員二十数名共謀の上、原田の音頭により全員拍手し又は乾杯して大いに気勢を挙げ、各自竹槍(証第五乃至第九、第十八、第十九号)手工用小刀(証第一、第二、第十、第十二ノ一及び二、第十七号)庖丁(証第三、第四、第十四、第十六ノ一及び二号)或いは実弾(証第十五号)を装填した拳銃(証第十四号)等を携え、又は素手で、同夜七時過頃から陸続前記池田方を出発し、七時半頃前記黒川外科医院の邸内に殺倒侵入し、内十四、五名は土足のまま屋内に乱入して、中尾仁、米山善郞等は前記古賀登に対し殺意を以てその右側胸部右側腰部及臀部等に治療約三週間を要する各刺創を与えて殺害の目的を遂げず、川崎政夫は河野重臣に対し右上膊刺創等治療約四週間を要する傷害を与え、その他岩野甚太、中西明等に対する重軽傷を蒙らしめ以て騒擾を為し、急報により附近の消防署員が駈けつけた為、約十五分の後同所を引き上げたものであるが、右騒擾に於て被告人今村一及び同豊永昭二は相前後して前記病院内に侵入し、二号病室前廊下に於て前記岩野暢が奥の方に逃げようとするのを認めたので、始め今村が豊永に対し、その所持する拳銃で右岩野を射撃する様促したが、豊永が躊躇していたので、今村は右拳銃(証第十四号及び第十五号)を豊永から借り受け、豊永は右今村が岩野を射撃することを諒承し乍ら之を同人に交付し、両名共同して右岩野を射殺すべく、今村は岩野を追跡し、奥四号病室の窓際に居た同人をねらつて外庭から窓越しに引金を引き、以て両名とも率先して前記騒擾の勢を助けたが、右今村の拳銃の操法が未熟であつた為不発に終り、その間に岩野が逃避したので殺害の目的を遂げず、

第二、被告人三名は孰れも何ら法定の除外事由もないのに、

一、被告人今村一は昭和二十三年一月二十五日前記黒川医院に於ける暴行の際、相被告人豊永昭二からその所持していた拳銃一挺(証第十四号)(実弾(証第十五号)を装填す)を借り受けて之を不法に所持し、

二、三(省略)

たものである。

(証拠説明)

(一)判示冒頭の身分関係は

被告人等の当公廷における各自関係部分につき判示に照応する各供述

(二)動機、原因の事実は

一、森岡浅治と岩野暢の大劇に於ける喧嘩につき第三回公判調書中森岡浅治第五回公判調書中証人小島雄次郞の判示と同趣旨の供述記載

一、右喧嘩直後における岩野の態度につき、被告人今村一に対する検察事務官の昭和二十三年一月二十九日附聴取書中判示に照応する同人の供述記載

一、右喧嘩直後に於ける森岡の態度につき、同人に対する検事の同年二月二日附聴取書中同人の判示同旨の供述記載

一、右両名の仲直りの模様につき第三回公判調書中森岡浅治の第四回公判調書中、池田実の各判示と同趣旨の供述記載

一、岩野一派の検挙の事実につき第四回公判調書中池田実の判示と同趣旨の供述記載

一、岩野一派の復讐準備の風説につき、森岡浅治に対する検事の前記聴取書中判示に照応する供述記載

一、池田の避難につき第四回公判調書中同人及び原田末利両名の判示同旨の供述記載

一、城水組への依頼につき、長井末広に対する検事の同年一月二十九日附、上川善次郞に対する検察事務官の同年二月一日附各聴取書中、判示に照応する同人等の各供述記載

一、寺内忠雄に対する求援打電につき森岡浅治に対する検事の前記聴取書中判示に符合する同人の供述記載

一、同様右事実につき、昭和二十三年二月三日午後零時五十分検事大坂盛夫の受話した佐世保駅長からの「電文照会の件」と題する電話聴取書中「一月二十三日午後五時二十分佐世保市若葉町二七〇森岡浅治から大牟田市花園町四九テラウチタダオ(一六一号)同市大正町ナカムラヨシオ(一六〇号)に宛て「スグヒトタノムモリ」の同文至急電報を受付け、同午後五時五十分発信した、尚右発信人(森岡)から二十三日より二十六日迄の間右の外発信された電報はない」旨の記載

一、福毛義之の岩野暢刺傷事件につき第三回公判調書中森岡浅治の判示と同趣旨の供述記載

一、同様右事実につき、岩野暢に対する検事の同年一月二十七日附聴取書中判示に照応する同人の供述記載

一、岩野受傷後に於ける同人等一味の者の感情につき、古賀登する検事の同年二月十二日附聴取書中判示に照応する同人の供述記載

一、福毛事件後に於ける森岡と石井の往来につき、武内賢之に対する検察事務官の同年二月二日附聴取書中判示と同趣旨の供述記載

一、石井の池田、原田等との意思連絡につき、柴田フジエに対する司法警察吏巡査の聴取書中判示に照応する同人の供述記載

一、森岡の城水組に対する再度の求援依頼につき、川口千寿一に対する検事の同年一月三十一日附聴取書中判示に照応する同人の供述記載

一、森岡の岩野一派の動静探索につき、柳井敬子に対する検事の同年二月二日附聴取書中、判示に照応する同人の供述記載

(三)犯罪事実中

(イ)被告人三名の黒川医院における各個別行動を除く尓余の部分に関しては

一、被告人豊永昭二及び同川崎光雄等大牟田組の佐世保に来た事実につき、馬場昭敏に対する検察事務官の同年二月一日附聴取書中、判示に照応する同人の供述記載

一、同様右事実及び佐世保到着直後の模様につき、渡辺安雄に対する検事の同年一月三十日附聴取書中判示に照応する同人の供述記載

一、石井方に於ける会談飲酒の模様につき、被告人今村一に対する検察事務官の同年一月二十九日附聴取書中判示に照応する同人の供述記載

一、同様右事実につき、吉原健一に対する検察事務官の同年二月三日附聴取書中判示に照応する同人の供述記載

一、池田方に於ける謀議の模様につき、渡辺安雄に対する検事の同年一月三十日附聴取書中判示に照応する同人の供述記載

一、同様右事実につき、木下秀男及び川口千寿一に対する検事の同年一月三十一日附各聴取書中判示に照応する同人等の各供述記載

一、出発の模様につき、木下秀男に対する右聴取書中同人の判示同旨の供述記載

一、騒擾の模様につき、中尾仁に対する検事の同年三月十九日附の、米山善郞に対する検事の同年一月二十九日附の、川崎政夫に対する検察事務官の同年二月五日附の、岩野暢及び古賀登に対する検事の同年一月二十七日附の、森永熊雄に対する検事の同年二月二日附の各聴取書中判示に照応する同人等の各供述記載

一、同様右事実につき押収してある竹槍(証第五乃至第九、第十八、第二十号)手工用小刀(証第一、第二、第十、第十二ノ一、二、第十七号)庖丁(証第三、第四、第十三、第十六ノ一、二号)等の各存在

一、各被害者の蒙つた創傷の部位程度につき、古賀登、岩野甚太、河野重臣、中西明に対する医師黒川鷹揚の各診断書中、判示に照応する各記載

(ロ)判示各被告人の犯行行為については

一、被告人今村一に対する検察事務官の同年一月二十九日附聴取書中、同人の「一月二十五日午後六時頃池田方に帰つてみると二十四、五人の若い者が集つて居り、玄関内の右側壁には竹槍七、八本立てかけてあるので、今夜やるんだなと直感し、家の中で森岡組の木下、松田、長井、川口の四名の者から二十三日晩福毛が岩野を刺したこと及び岩野が居るから佐世保にゴタゴタが絶えないから、今晩岩野を殺してしまうというのを聞き、自分も以前から岩野のやり方に奮慨していたので、自分が一番に岩野をやつつけてやろうと決意し、急いで夕食及び入浴をすました後、服を着換え、以前から池田方に隠してあつた手工用ナイフを取り出して内ポケツトに入れ、地下足袋を穿いて飛び出し、竹槍、庖丁等を持つた仲間の者二十数名と共に、池田方前道路に勢揃いした後出発し、自分の直ぐ後ろには豊永が続き、その後十人位一団となつて黒川病院に行き、私が一番先に玄関に到り、地下足袋のまま廊下に上り、病院の方に行きかけたところ、病室表側の窓硝子を破る音、人の騒ぐ声等が聞え、自分は出発の際、岩野が二号室に入院していることを聞いたので、直ちに同室に到り、入り込んだ処、岩野が三号室から四号室に板戸を開けて逃げようとするのを発見し、その時丁度豊永が自分の傍に居て拳銃を左手に持つていたので、同人に対し岩野を射てと云つたが、発砲せぬので、自分はカツとなつて、自分の所持しているナイフを豊永に渡し、同人から右拳銃を受けとつて二号室の窓から表側に飛び出し、四号室の窓際に行きそこに立つていた岩野の胸をねらつて「岩野まて」と叫ぶや引金を引いたが、カチツという音がした丈けで発砲せず、その内岩野は廊下の方に逃げたので、自分は傍に居た豊永に「之はつまらぬ」と云つてナイフと取りかえて渡した」旨の供述記載

被告人豊永昭二に対する検察事務官の同年一月二十九日附聴取書中、同八の「一月二十四日大牟田で馬場と歩いていた際寺内組の川崎光雄と出会い、同人が、佐世保に何か起つたらしく森岡組から寺内組に電報が来て身内の者が五、六人佐世保に行くが、お前達も来ないかと誘われ、馬場と相談の上同行を約し、右川崎光雄等と共に同日夕刻佐世保に来た。到着後森岡方や石井方で挨拶して御馳走になり翌二十五日午前十一時頃石井方で食事をしている時、石井、池田、原田、森岡等が「若松から三十六人の者が応援に来ているが、先方が来るのをまつか、こちらから先に殴り込むか」という話をしているのを聞いたが、そのまま夜店に遊びに行き、午後六時石井方に帰つたが誰も居ないので池田方に行つた処、右親分等の配下の者や大牟田の連中が池田方前にウロウロして居り、自分は馬場と夕食を済した後、竹槍や刺身庖丁を持つた連中と一緒に、自分は大牟田から持つて来ていた拳銃を持つて黒川病院に行き、佐世保の者が二、三人玄関から上るのに引き続いて私と今村と上つた処、今村は直ぐ二号室前に行き障子を開けて立上り、私に「コツチ〓」と云うので、同人の傍に行くと、私に「拳銃で射て」といつたが射たなかつた処、今村が私に「射たぬなら拳銃を俺にやれ、俺が射つ」と云つて自分の持つている刺身庖丁を私に渡し、私の拳銃を自分が取つてその部屋を通り拔け窓越しに庭に出た上、窓越しに拳銃を岩野の方に向けて引金を引いたが「カチツ」という音がせぬので私が引金を引ける様にして再び彼に渡すと、同人は引金を引いたが発砲しなかつた。丁度その時、逃げろ逃げろという者があつたので門の外に逃げ出し、途中馬場と会い、二人一緒に池田方に行つた処、そこに川崎光雄と二、三人の者が居たので、私は川崎に「拳銃を隠して置いてくれ」と云つて同人に右拳銃を渡し、それから馬場と二人で夜店に遊びに行つた」旨の供述記載

一、被告人川崎光雄に対する検察事務官の同年一月三十一日附聴取書中、同人の「一月二十日の夕方、佐世保の森岡から何か事件が発生したとの電報が来た模様で、親父が佐世保に行くというので、寺内、山田、自分、渡辺、吉川、鳥井、豊永外十五、六名で二十四日午後六時頃佐世保に来た。その目的は事情を聞いた上で森岡に応援する考えであつた。それから森岡方、石井方に挨拶し、石井と森岡とは何か話をしていたが、精しい事は知らなかつた。二十五日夕刻池田方に行き食事や入浴をしたが、座敷の方では沢山の人が集つて何かがや〓話し、その様子から察し、又前日石井方でチラツと聞いた事と思いあわせ、愈々今日はやるんだなと直感し、自分としても応援せねばならぬと思つた。間もなく拍手が聞えたので自分も一緒に拍手し、池田方前道路に皆が竹槍を持つて出たので、自分は素手でその後からついて行き、病院の前のお寺の石段の処に居たが、自分は相当酔つていたのでどうもその時の模様は記憶が判然しない。それから皆が病院から走り出して来たので、私もその後について走つて逃げ池田方に帰つた。

それから池田方で手を洗つている時、大牟田の豊永が拳銃一挺を私に渡し「之を匿してくれ」と云つたのでこれを受取り又その時刺身庖丁二挺を名前を知らぬ佐世保の若い者が匿してくれと渡したので、之と一緒に池田方の便所の横の炭俵の中に匿したが検挙されてから取り出し刑事に渡した」旨の供述記載

一、押収してある拳銃(証第十四号)実弾(証第十五号)の各存在

を総合して之を認めることが出来るから、判示犯罪事実は全てその証明が十分である。

(法律の適用)

法律によれば、被告人等の判示所為中、被告人三名の各住居侵入の点は各刑法第百三十条第六十条に、各数個の殺人未遂の点は各同法第百九十九条、第二百三条、第六十条に、各傷害の点は各同法第二百四条、第六十条に、各拳銃不法所持の点は各銃砲等所持禁止令第一条、第二条、昭和二十一年六月十七日内務省令第二十八号右同令施行規則第一条第一号に、被告人今村一及同豊永昭二の各騒擾(率先助勢)の点は各刑法第百六条第二号に各該当する処、右被告人今村一及同豊永昭二両名における各人の右住居侵入は各自の右各数個の殺人未遂及傷害の手段行為であり、且つ右騒擾と右住居侵入、各殺人未遂及び傷害とは一個の行為が同時に数個の罪名に触れる場合に相当し、被告人川崎光雄の前記住居侵入は前記数個の殺人未遂及び傷害行為の手段行為であるから、前者の被告人両名に対しては、その右各牽連関係及び想像的競合関係につき、夫々同法第五十四条第一項後段、同前段、第十条を同時に適用し、後者の川崎光雄に対しては同法第五十四条第一項後段、第十条を適用して、被告人三名孰れも結局最も犯情の重い古賀登に対する殺人未遂の各一罪とするが、右各一罪と被告人三名の前記拳銃不法所持の各所為とは各々同法第四十五条の併合罪であるから、三名とも殺人未遂罪については有期懲役刑を、拳銃不法所持の罪については懲役刑を各選択した上、同法第四十七条第十条に則つて孰れも重い殺人未遂罪の刑につき同法第十四条の制限に従つて法定の加重を為し、被告人川崎光雄に対しては更に同法第四十三条本文第六十八条第三号を適用して未遂減軽を為し、以上各算定した刑期の範囲内で被告人今村一を懲役五年に、同豊永昭二を懲役四年に、同川崎光雄を懲役一年六月に処し、尚同法第二十一条に従つて、未決勾留日数中各百二十日を右各本刑に算入すべく、押収に係る拳銃一挺(証第十四号)実弾六発(証第十五号)は孰れも判示殺人未遂罪の用に供したもので被告人等以外の者の所有に属しない物であるから、同法第十九条第一項第二号第二項に則り孰れも之を没収することとする。

尚被告人川崎光雄に対する公訴事実中騒擾(附和随行)の点については、被告人川崎光雄が騒擾の謀議に与り黒川医院附近まで行つた事実は一件記録の各証拠に徴し之を認めることが出来るが、右の事実のみでは騒擾に附和随行したものとはいう事は出来ず、その他同被告人が騒擾の現場に於てその実行行為をなした事実を認めるに足る証拠はないから、右の公訴事実は無罪であるが、右は前記各認定事実と想像的競合の関係にあるものとして起訴されたものと認めるべきであるから、特に主文に於て無罪の言渡しをしない。

それで主文の通り判決する。(昭和二三年七月八日長崎地方裁判所佐世保支部)

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